海とスポンジと喧騒と
ランペドゥーサ島と、行って帰って来てようやく空で言えるようになったけど、島に上陸して5分後に夫のある身のあたしとハイディの心を鷲づかみにしたのは、スプーニフィーチョだった。
船が着岸するランペドゥーサ島の新港のあたりは、南国の港町のイメージそのままの色彩も雑多な建物が暑い日差しの中に並んでいて、旅気分につられて観察力なんかがいつになく高まる。
今どき手書き看板の文句を「スプーニフィーチョ」と何気なしに口に出してみたら、これが2回は声に出してみたくなるイタリア語だった。ハイジとあたしは実際に二度見ならぬ二度言いしたし、「スプーニフィーチョ」という単語だけでしばらく座が持ったほどだった。
ソバに「屋」がつくとそば屋になるように、イタリア語では特定の名詞の語尾に「フィーチョ」をくっつけて専門店を表すことがある。
パーネ(パン)につけばパニフィーチョ(パン屋)、ラッテ(牛乳)だとラッテフィーチョ(乳製品専門店)という具合なんだけど、シチリアから8時間も遠ざかってしまうと、スプーニャ(スポンジ、ここでは海綿)だけでやっていけるスプーニフィーチョなる新しすぎる専門店が当たり前に並んでいて、人はアフリカと呼ぶランペドゥーサ島への期待はいやがおうにも高まったのだった。
そんな島での滞在先のレストラン兼バールで、あたしたちのテーブルにお皿を出したり引っ込めたりしてくれたベロニカは、そのドラマティックな名前に似つかわしく、美しいヴァレリア・ゴリーノの娘に扮して、映画『レスピーロ(呼吸)』にでていた。
この年末年始に、ライプツィッヒのハイジのうちのリビングに雁首揃えて、『レスピーロ』をイタリア語で観たことをはたと思い出したあたしは、何かを見ても何も見えていない自らを嘆きつつ、なんで今度の旅がランペドゥーサ島になったのかを悟った。ランペドゥーサ島は、そのロケ地なのだ。
生き物が一切の活動を止めそうな島の昼下がりは、海が見えるベロニカのバールに座って、イタリア語は31ページで頓挫した『百年の孤独』を日本語で読んで過ごした。
ある日の昼下がり、背後で大げさに嘆き続けるオトコの声がだんだん気になって来て、D.カッパーフィールドみたいにおんなじ文章を5回は読まなければならなかった。どうやら、オンナが20ユーロ「も」払ってクスクスを食べてきたらしい。
これは身に覚えどころか、つい前日にも、あたしもハイジもそれぞれが1回づつおんなじやり取りをしたばっかりだ。
10人いれば10人の夫が、妻の、正統な理由のある買い物/「ささやかな」散財を問わず、出した金額を必ず知りたがり、ギリシア悲劇風に嘆くのはなんなんだろうか。州かなにかの条例かもしれない。チュニジアまでわずかに113kmに迫るといえども、ランペドゥーサもまたまぎれもなくイタリアであった。見ればベロニカで、夫でなければ同棲相手だろうと思っていたオトコは、父親だった。
イタリアでは娘時代から一生「それで、いくら払ったんだ?」と聞かれ続けるのだ。たとえドルチェ・エ・ガッバーナの120ユーロの新作水着だったとしても、その正しい答えはこうである。「10ユーロ、青空市場で。ほんとは12ユーロだったんだけど、まけてくれた。」 嘘をついた時の答えは少しばかり長くなる。
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