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2011/03/15

生活を続けるということ

 目が覚めてすぐ、自分はぬくぬくとしてベッドの中にいることを強く意識しました。

 部屋は少し寒いけどスイッチを入れればやがて温水暖房が循環をはじめるし、昨日と同じように、あったかいミルクコーヒーが飲める。

 このころは6時前にはもう空がしらじらとしているのですね。被災地の方は、どんな思いでこの夜を過ごしたのか、過ごしているのかと、涙がこぼれます。

 S.モームの『人間の絆』で、父親が自慢の娘をこう描写する場面があります。「こいつはね、先生、戦争があろうが、革命が起ころうが、(中略)きちんきちんと、自分のことだけはやっていくっていう女でさあ。」

 地震があった夜、来週にミリタリーの実務試験を控えた甥が、フライトをインターネットから予約するために、うちに来ることになりました。

 若者の失業問題が深刻な南部で、甥にとっては人生のかかった一大事です。おじさんの嫁の国で起きた地震は、現実問題としての試験の前では、遠い国の悲しい大惨事以上でも以下でもないようでした。 

 甥を非難する気はさらさらなくて、あたしたち日本人も今までそうやって、いろいろをあまりに軽くやり過ごして来ました。

 ヒロコヒロコと慕ってくれるかわいい甥がご飯時に遊びに来るとなれば、ご飯をすすめたいとも思い、一方で、故郷で何が起こっているのか分からない。あたしは、その夕方の時点で、日本の家族と連絡が取れずにいました。

 Ustreamの地震情報から身をひっぺがすようにして、あたしは買い物に行くしかありませんでした。ご飯なんかどうでもよくて、腹が立つほどだったけれど、その時点であたしのするべきことは、結局たったそれしかなく、他にできることといったら、あとはその家事さえ放棄することだけでした。

 あたしたちの悲しい愚かな歴史の中で、どれほどの人が、こうやって、吐き出すことも飲み下すこともできない思いを抱えて、黙ってご飯の支度をしたのでしょうか。

 今だって、いろいろな状況下で、遠くの愛する人のために、何をすることも能わず、自分は昨日と変わらない生活ができることに、心を痛めている人がいるでしょう。それでも生活を続けるということ、そのなんと難しいことよ。

 生活するということをもっと大切にしようと、今だからこそ強く思います。

 

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